2018年7月16日月曜日

デンゼル・カリー「Clout Cobain」〜ライチュウの衝撃



 J・コールが「1985 (Intro to "The Fall Off")」で予言したキッズラッパーたちの未来は、そのうち飽きられてリアリティ番組の出演者に落ちぶれるだろうというものだったが、デンゼル・カリーが提示する顛末はもっと悲惨であるーー自死だ。

「Clout Cobain」の舞台はサーカス小屋。デンゼル演じる男は一座の団長に呼びこまれ、今日も観客を相手に滑稽な道化を演じる。ショウを楽しむ観客の顔には、一様にタトゥーが彫られている。彼らがこぞって鑑賞のお供に買い求めるのは、錠剤(ルビ:パーコセット)入りのホットドッグと紫色の配合飲料水(ルビ:リーン)だ。
 デンゼルがとびきりのまぬけ面をつくり踊ってみせるも、観客の反応は無表情。そこで彼は歓心を買うために、もっと過激なパフォーマンスに出る。自動拳銃(ルビ:グロック)を片手に観客をあおると、たちまち場内は大盛り上がり。銃を持つ手と反対の手に握られたスマホでは、インスタライブが配信中だ。スマホのスクリーンは視聴者からの「いいね」であふれ返っている。しかしそんな白熱する聴衆をよそに、デンゼルはふと我に返る。自分のおろかしさに気づいたのかもしれないし、客のご機嫌伺いに疲れてしまったのかもしれない。そのままデンゼルはこめかみに銃口を持っていき、引き金を引く。倒れた道化の頭から流れ出る真紅の血は、まるでキッズラッパーたちがインスタグラムで見せびらかし(ルビ:フレックス)ていた高級車の革張りシートのよう。
 ミュージックビデオではそこまで描かれないが、聴衆のなかには悲劇の現場をスマホで録画し、SNSに投稿する者がいてもおかしくない。なんたって「いいね」を稼いで、オンライン上の「影響力(ルビ:クラウト)」を高める千載一遇の機会だから。サーカス小屋を包む阿鼻叫喚のなかで、嬉々とした雄叫びがこだまするーーワールドスター! 狂った社会を鋭利な視点で描くのはチャイルディッシュ・ガンビーノだけでない。これもまた、アメリカだ。

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 デンゼルは、ファンからサーカスを題材にした理由を問われてこう答えている。「これはミンストレルショウや黒塗りにひっかけてる。アーティストは影響力を持つため、あるいは話題づくりのために道化を演じなきゃいけない。団長は奴隷主やレコード会社のたとえ。観衆はファンとマスコミをあらわしている」

 デンゼルがこのビデオの着想元に挙げているアウトキャストの「The Whole World」も、ショウの見せものとしてファンに消費されるアーティストの悲しきさだめについて歌われる。だがファンの“残忍さ”は、当時よりもSNSが普及したいまの方が格段に増しているといえるかもしれない。
 デンゼルが言うように、特に若いアーティストは話題(ルビ:バズ)づくりに余念がない。SNSのおかげで、一夜にしてときのひとになることができる時代になった。しかしその反面、常にときのひとでいるのは一苦労だ。ひとは熱中もすれば、飽きることもある。SNSによってそのサイクルは加速した。ゆえにアーティストはファンの心をつなぎとめようと必死になって話題をふりまき、道化を演じるーー分厚い札束(ルビ:ラバーバンド)を携帯電話に見立てておどけてみたり、顔に派手なタトゥーを彫ってみたり。そのうちに心身を疲弊させたある者は薬物に救いを求め、またある者は自死を選択する。流行りに乗っただけのアーティストは、生かされるも殺されるも、すべてファンの胸三寸にある。

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 デンゼルの主眼は、そうした踊らされる同輩ラッパーたちを揶揄することにあるわけではない。「Percs」でも歌っているように、その矛先は軽薄なラッパーだけでなく、彼らを褒めそやすリスナーにも向けられている。「あいつらは何にも言ってねえじゃん/ごにょごにょ言ってるだけでさ、でもお前らは“おお、やばい”とか言ってありがたがってる」
 デンゼルの主張はこれまでもずっと一貫している。無味乾燥で陳腐なリリックを歌おうが、ドラッグをやろうが、顔にタトゥーを彫ろうがぜんぜんかまわないが、“俺はそういう奴らとはちがう”、というのがデンゼルのモットーだ。代表曲「ULT」で何度もくり返される「お前らはULTじゃない(y'all ni***s ain't ULT)」という力強い言葉にも、その精神はあらわれている(注:ULTは「ultimate」の略で、「ultimately liberating together(究極の解放)」「utilizing limitless talent(無限大の能力の発揮)」を意味するデンゼルの造語。解脱したような自由で活力に満ちた精神状態をあらわす。『ドラゴンボール』の超サイヤ人のイメージが重ねられているように思われる。「Ultimate」のビデオでは、悟空のように宙を飛んでいる!)。デンゼルはインタビューでもこのように話している「J・コールもリル・パンプもどっちも必要なんだ。J・コールを聴きたいときもあれば、リル・パンプの気分のときもあるだろ」

「Clout Cobain」のリリックにはこんな一節がある「なにもかもが衝撃的で、ライチュウになった気分」。ここでは衝撃的(shocking)とポケモンのライチュウの「電気ショック」をかけているわけだが、はたしてそれだけだろうか。ふつうだったら一般によく知られ、ラップのリリックでも耳馴染みのあるピカチュウでいいはずなのに、なぜあえてライチュウを選んだのか。おそらく前行の「fight you」と韻を踏むためだろう。でもそれはやはり、“俺はお前らとはちがう”という意思のあらわれではないか。ありきたりなピカチュウではだめなのだ。デンゼルはそんじょそこらのラッパーとはレベルがひと回りもふた回りも違う。ライチュウがピカチュウの「進化系」であるように、究極形態のラッパー、アルティメット・デンゼル・カリーなのだ。


Denzel Curry - "Clout Cobain"


Outkast - "The Whole World"


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