2017年6月11日日曜日

J・コールの優劣を決す



 万人が納得するランキングなんて無理。その通りかもしれない。音楽アルバムであれば売り上げ枚数、映画であれば観客動員数など、客観的な判断基準に従って選ぶのでない限り、そのランキングが選者の趣味嗜好を反映したものになるのは仕方のないこと。良い、悪い、好き、嫌いはひとそれぞれ。ランキングに対して不満が聞かれるのも不思議なことではない。それでも、選者の独断と偏見で選んでいるにも関わらず、それなりの説得力と正当性を持ったランキングというのもある。『ラップ・イヤー・ブック』(17年、シェイ・セラーノ著、小林雅明訳、以下RYB)がそれだ。『RYB』は、世界初の商業ラップレコードである「The Rapper's Delight」が発売された1979年を始点に、2014年までの三十六年間それぞれの年の最重要曲を選出した“ラップの年鑑”だ。最重要曲を勝手に決めてしまうとは、たいへんに大胆な試みであり、それこそ下手すれば、ラップミュージックのうるさ型リスナーから大反感を買いそうなものだが、完璧とは言わないまでも、『RYB』の選ぶ三十六の重要曲と、この本が提示するラップ史観には頷かされる。『RYB』が独断と偏見による歪んだランキングに陥ることなく、説得力に足るものとなりえたのは、個人の好き嫌いだけで選ぶのではなく、選曲に際して評価軸を設けているため。著者のシェイ・セラーノは、この本で採用した評価基準をこう説明する:
“最重要”とは、必ずしも“ベスト”を意味しないし、“ベスト”は、必ずしも“最重要”を意味しない。(中略)カニエ・ウエストのJesus Walksは、2004年のベスト・ソングではあるが、最重要ではない。曲そのものが成功した以外、(全く)何も功績を残していない。1997年において、パフィのCan’t Nobody Hold Me Downは、ビギーのHypnotizeに比べたら良い曲ではないけれど、ずっと重要な曲だ。その違いは、意味論上のもののようだし、そうなのかもしれないが、こう考えてみればわかりやすい:その曲がラップ界に、もしくは、ラップ界の外側にまで、いかなるインパクトを与えたのか? そうすると、たいてい、重要曲と、楽しむために身体や手や足を動かせる曲との違いを判別できる。
『RYB』は、先ずもって、一年に一曲選ぶという、その基本的な構成がユニークであるが、それに加えて、著者の皮肉に満ちた語り口が輪をかけてこの本をユニークなものにしている。例えば、「ザ・ネプチューンズは、過去15年間で最も影響力のあるプロダクション・チームではないだろうか」という一文に付された脚注は「おっと、どうした、ティンバランド」といった具合だ。皮肉な物言いにニヤリとさせられるのだが、J. Cole(J・コール)のことを腐した箇所だけが読んでいて気になった。何の説明もなく、ただ「ラッパーとしてたいした事ない」とほのめかされているのだ。

『RYB』に限らず、著者シェイ・セラーノの発言や彼が書いた文章には、J・コール批判が散見される。Kendrick Lamar(ケンドリック・ラマー)を賞賛するのに、わざわざこう述べている「ケンドリック・ラマーの音楽とは、J・コールが作っていると思い込んでいる種類のものである」。言い回しの回りくどさが、余計に嫌味ったらしい! しかし、さすがは『RYB』という優れた本を上梓したシェイ・セラーノだけあり、J・コールのことが憎いがために、理由もなくこき下ろしているわけではない。彼のJ・コール批判には、彼なりの根拠がある。

「The Ringer」に掲載された「The Great J. Cole Debate」という記事は、J・コール擁護派と反対派の二人のライターによる討論。例によってシェイ・セラーノは反対派として、得意の皮肉交じりに批判を展開している。この討論が一読に値すると思うのは、『RYB』同様に、やみくもに良い悪いを言い争うのでなく、評価基準を定めた上で、対象の優劣を論じているところだ。ここでは五つの評価カテゴリーを設定し、それぞれ0点から20点で採点を行うという方式を採っている。五つの評価カテゴリーは以下の通り。①性格:その人物はどんな人か? そのラッパーを“人として”好きか、リスペクトできるか? ②親近感:あなたの希望、課題、関心について、そのラッパーは何と言っているか? ③卓越:そのラッパーの音楽は、良くも悪くもその他大勢の作品からかけ離れているか? ④熟練:これは、シリアルの箱に書かれた原材料名を、目を細めながら読み上げるみたいにしてラップするジュエルズ・サンタナやリル・ヨッティが低く評価される所以である。⑤目的:その人物は立派な目的のためにラップしているか? この点はカニエ・ウェストみたいに、高校で人気がなくて、体育会系男子やイケてる女子とつるめなかったことへの腹いせにラップしているかのような人物が、最底辺に位置付けられる所以である。

 各カテゴリーについて優劣を論じ合い、最後に反対派のシェイ・セラーノはこう問うている「それでは採点を集計しよう。我々が採用した“この人物は優れたラッパーか?”基準に従えば、J・コール反対派の私は100点満点で33点を付けた。対して、J・コール擁護派の(そして、この採点基準を考案した張本人の)あなたは58点。58点という得点は、私の場合は、決して“優”の部類には入らない。さて、これが私からあなたへの最後の質問だ。J・コールは優れたラッパーでないと認める気になっただろうか?」ここでは詳細を省くが、公正な議論の結果、上述の通り、J・コールの優劣をめぐる討論は、擁護派と反対派の双方が納得のいく形で幕を閉じている。

 この討論でシェイ・セラーノは、J・コールがshit(うんこ)を使ったパンチラインを多用していることをからかって、すべての発言の最後をそれらで締めくくるという妙技を披露していて、やはり皮肉ったらしいのであった(「野郎どもは一端の大物気取り、でもまだ屁すらこけてねえ」等)。そういえば、Logic(ロジック)の『Everybody』(17年)では、ラップ論壇から不当な批判を受け苦しむロジックに向けて、J・コールが先輩ラッパーとして「他人の意見は気にするな」というアドバイスを授けているのだけど、これだけ憎々しい批判に晒されては、そう言いたくなる気持ちも理解できるというもの。


Logic - "AfricAryaN (feat. Neil DeGrasse Tyson)"



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