2014年1月26日日曜日

『中身化する社会』とカニエ・ウェスト『Yeezus』



『中身化する社会』(星海社新書)を読んで、あらためてKanye West(カニエ・ウェスト)が“時代を読む能力”に長けていることに気付かされた。
 本書では「ソーシャルメディアの爆発的な普及に伴って急激に進む「個人と集団の可視化」と、それが引き起こす事象」のことを「中身化」と定義。様々な事例を挙げて、外身よりも中身に価値を置く時代の到来を考察している。

 特に第1章で述べられる「ファッションの中身化」が興味深かった。本書によると、昨今人々の「ラグジュアリー離れ」が進んでいるという。ラグジュアリーからコンフォート(快適)へと、人々の嗜好が変わってきているというのだ。
 なにか知りたいことがあれば、まずは「ググる」。検索するという行為が常習化した現代では、人々が外見の見栄を張ることをやめた、またはその必要がなくなった。そのわけを本書ではこのように説明する。

 フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、グーグルのラリー・ペイジ、アップルの故スティーヴ・ジョブズなど、時代を代表するIT企業のトップは、公の場でもかなりカジュアルな装いで知られる。
 情報の覇者は巨万の富を得ても着飾らない。ならば、彼らの信奉者も同じ価値観を共有して当然だ。なぜ着飾らないのか? それは、いまや人々の人格はネットの世界で好むと好まざるとにかかわらずある程度判断されるからだ。(中略)そういう社会において、もはや外見の第一印象はそれほど重要ではない。なぜならすでにネットの検索結果が、その人の第一印象を与えているのだから。
 僕らは会う前に相手のかなりの情報を得て、印象を持ってしまう。
 その人の言動、興味のあるもの、活動、職歴、評判、交友関係というものは、ネットの海にある程度、露呈している。
(菅付雅信『中身化する社会』より)


 本書ではこのあと「価格.com」や「食べログ」などを例に挙げ、会う前、買う前に相手のことを知っている現代では、ファッションも含め消費全般において、見た目の第一印象が重要でなくなってきていると説明する。
 さらにこう続ける。

「モードは言語活動である」とは、フランスの記号論の第一人者、ロラン・バルトの有名な言葉だ。
 かつてファッションは、とても効果的でスピーディーな「言語」だった。

 プラダのデザイナー、ミウチャ・プラダもこう語っている。
「あなたが何を着ているかが、あなた自身の世界へのプレゼンテーション。特に今日は、人々のコンタクトがすごく速くなっている。ファッションはインスタントな言語です」
(2007年1月18日 ウォール・ストリート・ジャーナルの記事より)
 また、フランスの思想家、ジャン・ボードリヤールは、かつてこう表現していた。
「消費はコミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せられ、受け取られ、再生される記号のコードとして、つまり言語活動として定義される」
(ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』今村仁司・塚原史訳 紀伊国屋書店 1979年)
 まさしくファッションの消費こそ、もっとも可視化しやすいコミュニケーションの方法であり、自分の記号化でもあったのだ。
 しかし、ファッション以上に速い言語を、すでに人々が持ち始めているとしたら、どうだろう? いまやソーシャル・メディアでの情報発信の方が、ファッション以上に速い言語となっている。
(菅付雅信『中身化する社会』より)


 これまではファッション(着飾ること)がその人の人となりを瞬時に伝達するコミュニケーション・ツールとして機能していた。しかし今ではソーシャル・メディアがその役割を担うようになったというわけだ。
 この話を聞いて僕は、カニエ・ウェストの次の発言を思い出した。

(『Yeezus』は)直感的で民族的。あらゆる要素を削ぎ落とすよう試みている。それは服やファッションにも通じることなんだ。俺の今の恰好を見ても分かるように、かなりシンプルだろ。
(2013年6月11日 ニューヨーク・タイムズ紙の記事より)


 このあとカニエは、インタビュアーの「以前に比べて、着替えの時間は短くなった?」との質問に対し「もちろんさ!」と答えている。確かにここ数年のカニエの装いを見ていて思うのは、ドレスダウンしているということ。柄物でなく無地の服を着ている姿を最近はよく目にするようになった。

 カニエが「削ぎ落とすよう試みた」と語っているように、ミニマルな作風の『Yeezus』(13年)。本作で起用したプロデューサーのRick Rubin(リック・ルービン)のことをカニエは「ミニマリズムの師」と仰ぐ。
 加えて『Yeezus』がミニマルなのは、その音だけではない。透明のプラケースにラベルも何も貼られていないディスクを入れただけという本作のパッケージングは、究極のミニマル・デザインと言えよう。Jay Z(ジェイ・Z)とのコラボ作『Watch the Throne』(11年)の、あのラグジュアリー感溢れる金ピカジャケット(アートワークを手掛けたのはフランスの高級ブランド、ジバンシィのデザイナーであるリカルド・ティッシ)と同一人物の作品とは思えないほど趣が異なる。

『Yeezus』
これまでは『Yeezus』に対して、色々とアヴァンギャルドすぎて理解が及ばないという印象を抱いていたけれど、『中身化する社会』を読んで合点がいった。カニエは本書で述べられている、昨今の中身化する社会の空気感(外身から中身へ)を読み取り、それを作品に落とし込んだのではないか、と。
『Yeezus』の先行シングル曲"New Slaves"は、消費社会を批判したリリックが注目された。頭のてっぺんからつま先まで全身ブランド服で固めた、まさに消費社会の権化のようなカニエが急に何を言い出したのかと、発表当時は呆気にとられた。が、それも本書で指摘される人々の価値観・消費傾向の変化を反映したものだと思えば納得がいく。

 本書には、海外ではそういった人々の「価値観の変化」全般を扱う「ライフスタイル・マガジン」と呼ばれるジャンルの雑誌がいま、続々登場しているとある。

 ニューヨークで創刊されたばかりの、アメリカのクラフトマンシップある生活を提案する『ATLAS QUARTERLY』、アメリカ西海岸の女性ふたりのブログから発展した、日常を新たな視点で楽しむことを提案する『3191 Quartely』、スペインを拠点に世界中のクリエイティヴィティ溢れるライフスタイルを伝える『apartamento』、食を軸としたカナダのライフスタイル誌『ACQTASTE』、など、新しく創造的で、しかも消費主義的でない生き方を提案する雑誌が、つぎつぎと生まれている。
 日本では、『クウネル』『エココロ』『天然生活』『自遊人』、そして『スペクテイター』といった雑誌も、その範疇に入るだろう。
(菅付雅信『中身化する社会』より)


 それにしても、やっぱりラッパーにはいつまでも“ブリンブリン”でいてもらいたいものだ。

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